街上遊歩(2) うたごころ2008/05/02 17:29

 暑い。秋口に入ってようやく夏らしい今年の暑さだが、湿度がとれない。むっとした生ぬるい風が路上をたちのぼる。

 子どものころの、夏の朝の気持ちよさといったらなかった。どういうわけか、いつもに似ず、誰よりも早く目が覚める。寝ていてもいいのに、起き出して、机の前に坐り、夏休みの宿題帳をひらく。にわかにいそいそとした勤勉な気持になるのである。

 あの夏の朝の引き締まった空気をもういちど吸いたい――そんなことを思いながら、午後四時頃のちまたを歩く。路上に置く影を拾いながら、ぼくぽくといった感じで歩くわたしは、肩に大きな黄色の革のバッグを提げている。

 バッグの中には、図書館へ返却する本が二冊、猫缶一つにドライフードを入れたビニール袋、それから校正したゲラ刷りの束。町の小さなタイプ印刷屋さんに、隔月で発行している短歌誌のゲラ刷りを持っていく途中である。

 歩きながら、詩句を待ち受ける姿勢にこころを整えようとしてみるが、何だかすこしも締まらない。ゲラ刷りを渡すという用事がちゃんとした用事でありすぎるせいか。暑いせいか。こころがだらけているせいか。

 木影を拾いながら歩いてゆき、角を曲がると、西日がまともに差してくる道に入った。まぶしさに手をかざして、路上の熱気に息を詰める。アスファルトに照りつける日ざしは路上の粗い粒子の影をきわだたせ、そのうえに一足ずつ置くようにして進んでいくと、この粗い粒子の路面が何ともいとおしい。嚢中の言葉をまさぐりつつ、角をもう一つ曲がると建物の影に入って、とうとう詩句にはならずじまい。


   両の手をひらき垂れたる歩みにて遠き山嶺ひびき来たれり 
                                                                                              
 時間の彼方にそびえ立つ大きな嶺々は、たとえばこの二、三年をかけてぽつぽつと読んできた陶淵明。また雪舟、セザンヌ、ボードレール、杜甫。時の試練に堪えてきた古人の業と自分のこころとの通路がついたときには、こんな宝物があったのかと、目も覚める思いがする。

 ところがそれも、日常雑事に取り紛れ、宝物の蓋に塵積もるころ、あわれ、うたごころはふかき眠りへ。
                         (西日本新聞2003.9.19)

牡丹2008/05/02 18:51

わ(れら)が庭前の牡丹