街上遊歩 (7)わたしの場所2008/05/18 14:46

 片道一万円を割る格安航空券に釣られて、用事もないのに、九月初旬、熊本まで往復した。熊本は、「阿木津英」の生まれた場所である。この土地で、わたしは、歌を本気になって作り始めた。住みついたところが秋津新町、その名を取って「阿木津」と命名した。「英」は、本名の一字である。

 健軍電停終点から御船方向に三、四分も歩けば、今では東野と名を改めた秋津新町に着く。市街地だから、家並みが建て込んではいるが、熊本は空が大きくて、いつも上機嫌な明るさである。梅雨時の、文字通りバケツをひっくり返した雨の降り方には驚いたが、おおむね夜のうちにさっと降って、朝にはすっかり気持の良い光が降り注いでいる。

 南へ少し歩くと、市街地を抜けて、どこまでも平たい田んぼが連なっているが、その境に流れているのが秋津川だ。この秋津川のほとりから江津湖にかけての地域が、大好きなわたしの場所で、それがどのようにすばらしいか、誰彼なしに引っ張って行って見せたいくらいである。

 冬がとくに良い。空気に、九州の東側と違って、大陸的な透明さがある。いつの冬だったか、凍みるような寒い朝、秋津川の橋の上に立って包まれた青い空気は、忘れがたい。あの恍惚感を自分だけしか知らないのが残念でたまらず、熊本に遊びに来る人があるといえば連れていきたいと願った。けれど、結局声には出さずじまい。同じ気象が現れるとはかぎらないし。

 秋津川は、野の川である。葦や雑草の生い茂った両岸のあいだをゆるやかに流れる、浅い川である。東のかなたには、阿蘇の外輪山が、遠く低く連なるのが見える。外輪山の赤みを帯びた山肌は、その日々、その時々によって、色合いを変えるのである。きびすを返して、川沿いに下っていくと、やがて木山川・矢形川と合流し、水を湛えた大きな流れに変わる。両岸には、田んぼが連なり、農道を歩いていると、天から押しつぶされそうなくらい、広い。

 そこからほどなく下江津湖で、わたしの住んでいたころは、ほとりに動物園があるばかりの湖岸であった。よく犬をつれて、ぬかるみ道を歩み、地面から噴き出している水で、手を洗った。

 熊本に帰れば、このような道を歩くのがわたしの通例である。


                               (西日本新聞2003.9.25)