方代散策――『迦葉』を読む(2)2010/05/29 20:31

 
(石の笑い補記1

 「石の笑い」という語の初めて現れた、昭和三十四年作


 沈黙を尊しとして来たるゆえ石の笑いはとどまらぬなり


は、〈おもむろにまなことずれば一切の塩からき世は消えてゆくなり〉のほか、〈坂越えて急ぐひとりの方代の涙を月は見たであろうか〉〈誤って生まれ来にけりからす猫の見る夢はみな黒かりにけり〉のような、いわば涙のなかに嵌め込まれた「石の笑い」であった。

 交友のふかかった岡部桂一郎氏はこの時期の方代を、「生きるための暮しにふかい行き詰まりと絶望を感じていた。一日も早く(この世を)終りたいというのは方代のカッコよさをねらったものではなく、実は彼の本音だったのだ」(『山崎方代追悼・研究』不識書院)と書く。

この時期の「石の笑い」という語がいくばくこわばってこなれないのに比べて、〈しののめの下界に降りてゆくりなく石の笑いを耳にはさみぬ〉とうたう『迦葉』の時代、こんなにも屈託無いたのしい「石の笑い」を成就できたのは、晩年の生活がそれなりに功成り名を遂げ、心に余裕のできた反映だろうと、わたしたちは納得しがちである。

そうではない。そう解釈してしまっては、すべては生活の如意不如意が歌を決めていくという論法に陥り、どうにもならない。不如意な生活が意を得るやたちまち精神がぶよぶよになって堕し、増長し、歌を駄目にしてしまうのが、通常人だ。方代の足元にも罠は口をひらいていただろう。そこを賢明にも避け得て、『迦葉』の「石の笑い」の屈託ない世界が成就した。創作者としての厳しい闘いがそこにはあった。


  しののめの下界に降りてゆくりなく石の笑いを耳にはさみぬ


は、『迦葉』のなかでも指折りのすばらしい歌だが、この透明な笑いを、晩年生活のそれなりの如意の結果と解することは、この歌をどぶ泥につっこむことである。以上、あえて補注しておく。)


(石の笑い補記2

 大下一真著『山崎方代のうた』によれば、没後、故郷中道町に中道町民芸館が建てられ、その玄関脇に〈桑の実が熟れてゐる/石が笑ってゐる/七覚川がつぶやいてゐる〉という方代の碑があるという。〈不二が笑っている石が笑っている笛吹川がつぶやいている〉の類型。故郷の景にかかわる「石の笑い」という発想を方代は気に入っていた。右歌は、全歌集には収録がない。)




 三.キリスト様


    はじけたる無花果の実を食べておる顔いっぱいがキリスト様だ



 初出は、『うた』昭和五十六年一月。その直前、『短歌現代』昭和五十五年十一月号にはつぎのような歌がある。


    はじけたる無花果の実を食べおると顔いっぱいが鼻のようだよ


 断然「キリスト様だ」のほうが優れている。歌そのものの次元が異なっている。

 「顔いっぱいがキリスト様だ」とうたいきってわたしの目に浮かぶのは、かつて学生時代に映画『デカメロン』で見た中世農民の日に焼けた皺だらけの顔である。乱杭の歯っ欠けの口をにっと開いて笑う大写しの顔は、無類の無邪気さを現していた。「キリスト様」というのに、どうしてあの西欧中世農民の顔が思い浮かぶのか。

 この歌は、自分〈われ〉が無花果を食べているとも、誰かが食べているとも受け取れる。自分〈われ〉の「顔いっぱいがキリスト様」のようだと受け取っていいが、それでも読み終わって見えてくるのは、ひとりの日に焼けた皺だらけの無邪気な農夫の顔いっぱいの笑いなのだ。

 一方、『短歌現代』に発表した〈はじけたる無花果の実を食べおると顔いっぱいが鼻のようだよ〉では「食べおると」だから、自分〈われ〉が食べていると、という意味でしかない。掲出歌は二句切れにして、歌が説明をまぬがれ、飛躍した。自分のことであり、他の誰彼のことでもあるという、普遍性を獲得できた。

 「鼻のようだよ」が、無花果と関連深い「キリスト様だ」となったことによる飛躍は、これまた言うまでもない。

 無花果は小アジア原産、パレスチナには早くから移植された重要な果樹であり、旧約聖書新約聖書ともにしばしば現れること、方代はかすかにでも知っていたということになる。

 イエスが空腹を覚えとき遠くから無花果の繁った葉を見て近づいたが、実りの季節ではなく、実がついてなかった。それでこの木に向かって「今から後いつまでもおまえの実を食べる者がないように」と言ったと、マルコ伝には記す。方代は、こんな寓話も知っていたのだろうか。方代の歌は、そのとき空腹を覚えた者と、はじけるまでに実りの季節を迎えた無花果と、出会いの時の合致した幸福を思うぞんぶんに讃えている。




   四、末成り南瓜


      胡座の上に乗っておるのは末成りの南瓜のような老人である




 初出は『うた』昭和五十六年四月号だが、これも二カ月前の『かまくら春秋』に次のような似た歌がある。


      どっしりと胡座の上に身をのせて六十五才の春を迎えり


 この改作の方向も、さきの「キリスト様」の歌と似ている。どっしりと胡座の脚のうえに身をのせているわたしは六十五才の春を迎えたよ――こちらは、そう、〈われ〉が叙べている歌だ。ところが、先の掲出歌では、文人画とも挿絵とも漫画ともつかないような老人の姿がはっきりと見えてくる。その姿は、〈われ〉でもあり、他でもある。

 「胡座の上に乗っておるのは末成りの南瓜のような」、すこしひねた末成り南瓜のようなものが、胡座の膝のうえに乗っている。「乗っておるのは」という言い方は、外側から見るかたちをしめす。胡座の膝のうえに乗っているのは末成り南瓜のような・・・さて、ここで普通に語を続けるなら、末成りの南瓜のような顔、末成りの南瓜のような頭、こうなるところ。「老人である」とは、けっして続かない。「胡座の上に乗っているのは」-「老人である」と繋がることになって、おかしいからだ。

 ところが、「老人である」と繋げて、じっさいにこの歌から思い浮かぶのは、老い屈まった老人の、ひねた末成り南瓜のような大きな顔が、胡座のうえにのっかっている姿である。「胡座の上に乗っているのは」-「末成りの南瓜のような」-「老人である」という、この語順に若干のひずみがある。それがこの歌にどこか舌足らずな面白みをかもし出してもいる。

 おそらく、作歌時におけるこの歌の呼吸は、「末成りの南瓜のような」で切れている。四句で一呼吸おき、飛躍して、結句「老人である」と一首を大きく包含した。結句で大きくくるみとってこそ、水墨画のような稚純な老人の姿をそこに現出させ得たのである。

 こうして、〈われ〉の歌としての「六十五才の春を迎えり」の自画像の域を脱する、歌の普遍性が生まれ出た。

 山崎方代という、特殊なうえにも特殊な生き方をしてきた歌人のの歌が、特殊な人生をたどった者の一独白、一物語に終らず、大きな普遍性を獲得しているのは、このような創作者としての苦闘があったからだと、いまさらながら思い知る。




   五、一粒の卵


     一粒の卵のような一日をわがふところに温めている




 『かまくら春秋』昭和五十六年六月号では、この歌は次のようであった。右初出は『うた』同年七月号。


     短い一日である一粒の卵のような一日でもあったよ


 卵は、昔のひとには貴重品。病人の栄養補給品でもあって、方代にもそんな歌があった。「一粒の卵のような一日」は、そんな貴重な一日だという、比喩としてもわかりやすい比喩。

 ところが、「一粒の卵のような一日」とここから始まると、「卵」から鳥の抱卵を連想して「わがふところに温めている」となる。「温めている」で、にっこりほっこりしている歌の姿が現れ出る。こんな一日だったよと叙べる歌が、抱卵の鳥なのか〈われ〉なのかといった歌に変ずる。

 こうして並べると、いかにもやすやすとこの改作が現れ出たかのように見えるけれど、くるっと扉をひらくような一飛躍が必要だったのではあるまいかと、同じ作者としては思わずにはいられない。




   六、石から石へ


     両の手を空へかかげて川べりの石から石へはばたいていた




 この歌は、先に掲げた「石の笑い」の歌群をただちに連想させる。〈不二が笑っている石が笑っている笛吹川がつぶやいている〉ような、石ころだらけの川べりでここはあるに違いない。

 頭のでっかちな老人が両手をぱたぱたさせながら、石から石へかろやかに、笑いながら、足を掲げて飛んでいる姿が目に見えるようだ。クレパス画のような描線で、絵本の絵のようでも、漫画のようでもある。こっけいみがある。

 「両の手」とはすなわち鳥の翼の比喩にもなる。一首はここを翼と言わなかっただけのこと、翼をかかげて川べりの石から石へはばたいていたという、鳥の歌とも言える。ところが、歌に見えてくる姿は、どうしても鳥ではない。頭がちな老人が両手をぱたぱたさせて飛んでいる姿しか、見えてこない。それを不思議に思うのだ。

 「はばたいていた」――物語るかたちである。わたしは昔そうしていたよ、というのか、そういう場面を見たよ、というのか。



    柿の木の梢に止りほいほいと口から種を吹き出しておる



 これも、鳥とも人とも定まらない歌であった。「キリスト様」の歌と同じ連作中にある一首。

 子どもの頃、柿の木や枇杷の木、ぐみの木などにのぼって、熟れた実を取って食べては、樹上から種を吐き捨てたものだ。そういう記憶が蘇って、樹上にいるのは人だとまず思う。ところが、ここでは「梢」である。「梢に止」ることのできるのは鳥だろう。さて、鳥かと思えば、嘴ではなく「口から種を吹き出」す。

 「石から石へ」の歌も同様だが、鳥を擬人化したのでもなく、人を鳥に喩えたのでもない。比喩の技法におさまりきらないところが、じつにおもしろい。鳥でもあり、人でもある。どちらでもあるような姿が、「石から石へ」の歌でははっきりとまなうらに描ける。


 
    柿の木の梢(うれ)から落ちてたっぷりと浮世の夢を味わいにけり



 こんな歌も、「石から石へ」の直前にはあった。「石の笑い」の初案〈しののめの下界に立ちて突然の石のわらいを耳にはさみぬ〉と類想だろう。翼を持つ者、飛ぶことのできる者が、誤ってどじを踏んで地上におっこちる。石はそれを見てくすくす笑うのだし、柿の木から落ちたものは、罰として浮世の辛酸もふくんだ夢をたっぷりと味わうことになる。



 
   七、天秤棒


     食いこめる天秤棒を右肩へぐるりとうつす力がほしい




 子どもの頃、行商のおじさんは天秤棒を担いで家々を巡っていた。前と後ろに振り分けた荷物の重みで天秤棒がしなうのを、ぐあいよく拍子をとって歩く。ニコヨンで土を運ぶもっこ担ぎもそんなふうだったし、汲み取り式便所の肥をはこぶのも天秤棒だった。

 「ぐるりとうつす力がほしい」――ぐるりとうつすときに「力」がいるものかどうか知らない。しかし、外から見ていても、ゆさゆさと揺れる荷物としなう天秤棒と、腰からリズムをとってひょいひょいと歩きながら、ときにぐるりと肩を移すあの姿は、かろやかなものである。労働のリズムというものがそこにはある。

 肩に食い込む重荷も、労働のリズムにかろやかに乗るとき何の苦も感じないでいられるのだ。



                                   (「牙」2010.6)

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