寂しかりけり ――玉城徹の晩年の歌2010/12/17 14:31

  草枯れの堤を照らす日の光寂しかりけりわが眼(め)の前に



  暮れはてて風の音のみ窓に鳴るこの寂しさよ新年(にひどし)五日



                  「歳末歳首雑吟」『左岸だより』第六十九回
                           二〇一〇年三月十九日発行




 この「歳末歳首雑吟」十四首が、玉城徹の最後の発表歌ということになろうか。『左岸だより』は、主宰誌『うた』解散後、歌壇のごく少数の人々に「私信がわり」に送った玉城徹の個人的なペーパーのようなものである。第七十回を四月二十八日に発行したものが、最後となった。

 二〇〇八年梅雨の頃、玉城は沼津市西島町から静岡市の老人ホームに移る。従来、一年前に作った歌を出すようにしてきたというが、七月十六日発行第四十九回から二〇〇九年六月五日発行第六十二回まで、西島町にあって作った歌を発表し尽くしてのち、『左岸だより』に玉城徹の歌は見られなくなった。


「窓の前には、安倍川の堤が立ち塞がって、広い眺望が得られないのには困ってしまう。わたしが住むのは二階である。堤上の道の方が、ここより上に見えるのは、ここが低地だからであろう。」
                         (『左岸だより』第六十回後記)

「堤の上は、舗装されて二車線の道がある。車が往き来する。晴れた日には、車の反射がきらりと一瞬部屋の中へ差しこむ」「わたしは、一首も歌が作れない。その原因は、多分、自然との活きた交感が遮断されているからだろう。」
                          (『左岸だより』第六十一回後記)



 歌のない『左岸だより』が続いた。ところが、今年三月、わずか八頁にすぎなかったが、「歳末歳首雑吟」十四首を掲載する第六十九号が届いた。ホームで作った初めての歌ということになる。ひさしぶりに満ち足らう思いをして読んだが、なかでも掲出二首には胸をつかれるようであった。

「寂しかりけり」「この寂しさよ」という語には、思わず人をして駆け寄らしめるような響きがこもっている。窓の前に立ち塞がった阿倍川の堤の、その索漠たる風景がどんなに精神を苦しめるものであったか、伝わってくるようであった。

 さらに、歌の内容はそれだけではない。人の世のすべてが手元から去ってうつろになってしまった、という嘆きの声が聞こえた。人の世を愛憐して切に求めてやまぬ声が、時間と空間を越えた遠いところから聞こえた。



  うき我をさびしがらせよかんこどり    芭蕉



 「うし」とは、物事が思いのままにならず、厭わしく不愉快に思うこと。「さびし」とは、本来備わっているはずのものが欠けていて満たされない気持、もとの望ましい状態を求めようとする気持をいう。

「うき我」とは、つくづく世を厭うて遠ざけたいおのれの自覚である。人間(じんかん)の事は何もかもが不愉快であり、俗塵から離れてひとり籠もっていたい気持である。そういうわたしの心の向きを変えてさびしがらせてくれよ、かんこどりよ。人の世から遠ざかっていることが物足りなくて、人の世を求めてやまぬ、そういう気持にさせてくれよ――。芭蕉の句は、そういう。

古来、厭世を言う者は多い。まことに同感せずにはおれないが、しかし、それを越えて、「うし」ではなく「さびし」の境にこそ、人というもののありようがある――。そう、芭蕉はいうのである。

 この句は、元禄二年には結句が「秋の寺」であった。二年後、「かんこどり」と改める。遁世の場所である「寺」から「かんこどり=閑古鳥」への改作は、句の力点を「うし」から「さびし」「閑寂」の境へとおしひろげよう。

 このような芭蕉の「さびし」の世界があって、ここに玉城徹の「寂しかりけり」「この寂しさよ」の歌がある。

 最後の歌集となった『石榴が二つ』(二〇〇七年五月刊)には、「さびし」という語をつかった歌は七首を数える。もともと感情語の多い作者ではない。七首の「さびし」は突出しており、つぎに多い「恋し」の語とともに、この晩年の歌集を特徴づける。「恋し」とは、時間空間を遠くはなれた、ある対象を求める気持をいう。異性に限らないが、エロスの揺曳する語である。
以下、「さびし」の歌七首の用法をひとつずつ見ていこう。


 
  凝る雲の白のかがやき
   ほがらかに寂しきそらに
  かがやきの白を置きたり
  見つつわれ思ふともなし
  東門 西門 南門 北門
         
                    「雲 長歌並びに反歌一首」『石榴が二つ』



 長歌「雲」の第一節。青い空虚なそら、満つるもののないそら。その寂しさは、しかし「ほがらか」である。一つ、二つ、凝る白雲のかがやきによって、そらの空虚は寂しくも満たされている。反歌は〈住み古りて人の世うれし歩み出で端山(はやま)のあかきもみぢに向かふ〉。端っこではあっても、なお「人の世」の中にあって「住み古りて」いる。たしかにそう感じられるところからくる「ほがらか」さが、「寂しきそら」にながれている。



  道の辻家むらのそらの寂しけれ青くかたむく宝永火口



 「歳晩日日」より。これも「そら」の空虚のもたらす寂しさである。地上にごちゃごちゃと詰む家むらと、そのうえのそらの空虚さ。富士の山の宝永火口がくっきりと青く遠くに見える。



   吹き靡く街の青葉やわが心寂しと言はむのみにもあらず
 

   吹き入れて風ひえびえと五月なり金の憂へをここに呼ぶべく



 「五月」より。吹き靡く街の青葉よ、吹かれつつ歩くわたしの心を見てみれば、寂しいと言おうとするだけではない――。そう、歌はいう。では、寂しさのほかに何があるのか? 

言うまでもなく、「うき我をさびしがらせよかんこどり」が背後にながれているだろう。人の世にあって「憂し」という思いにとりつかれないではいない。不愉快なことばかりである。「わが心寂しと言はむのみにもあらず」、どうしても憂いの影が添わずにはいない。
しかしながら、厭世に嵌り込んでしまってはおしまいだ。だからこそ、「金の憂(うれ)へ」を呼び出そうとする。不満やくるしみがどす黒くてはいけない。あたかも白秋『桐の花』を思わせるような、はなやかな五月の「金の憂(うれ)へ」がそこに呼び出される。



  蝉のときはや終はりぬと部屋にわがひとり思へば寂しくもあるか



 「戸田みなと」より。しきりに鳴いていた蝉も絶え、いのちさかんな夏の季節が過ぎ去ろうとしている。過ぎ去った生気と活気にあふれた時節を思うと、いまさらにその欠けた虚しさを思うのである。「寂しくもあるか」は、季節の過ぎ去る気分的な感傷をいうのではない。過ぎ去ったのちの、どうしようもない虚ろの物足りなさのかたちがとりだされる。
 


  みんなみに満ちくるくもり伊豆の嶺の隠ろふ今日の心さびしも



 「窓に見る老人」より。「伊豆の嶺」を南から満ちてくる雲が隠してしまった。いつも見えていたものが、見えない。「心さびしも」という欠如をなげく感情が、そこに動く。



  港べは今年は早く草刈ればゑのころの穂を見ずてさびしき



 「残暑」より。毎年、秋口の港べに散歩にくると、一区画に雑草のしげっているのを見た。ところが、今年は草刈りを早くしたものか、さっぱりとしてしまって、あちこちを向いて揺れるえのころ草の穂を見なかった。あるはずのえのころ草の穂の無いのが寂しい。



  道のべに枯葉走りぬ楽しとも寂しともなくしばらくあはれ



 「白秋言」より。心が楽しさに満ちているとも、空虚で寂しいとも、いずれともない状態である。

 以上が、歌集『石榴が二つ』にあらわれた「寂し」の歌のすべてである。さらに、これよりのち、『左岸だより』第三十一回(二〇〇七年二月二十八日発行)には、つぎのような一首があった。「彫刻家飯田義国氏逝く。飯田氏はわが友、橋元四郎平氏の友人なり。悲しみて作れる歌」という詞書をもつ歌の二首目。さらに、第六十九号「歳末歳首雑吟」にはもう一首、「さびし」の古形「さぶし」を使った歌があった。



  義国のにはかに亡きに四郎平のさびしき心わが思ふかも
 

  貧しきが心さぶしく項垂(うなだ)るる心根も今うべなはむかな



このように、玉城徹の「寂し」は、たんに気分的な感傷をいうのではない。小環境において諸事情から生ずる一個の感傷を排出せんがための「さびしい」とは、まったく異なる。玉城徹という個人の「喉」を通しながら、歌はつねに「寂し」という語の淵源へ向かおうとしている。

 ふたたび、冒頭にかかげた「寂しかりけり」「この寂しさよ」二首、ここに改めて見てみよう。


  
  草枯れの堤を照らす日の光寂しかりけりわが眼(め)の前に
  

  暮れはてて風の音のみ窓に鳴るこの寂しさよ新年(にひどし)五日



これまでの歌の「さびし」の用例と異なるのは、過ぎ去った「蝉の時」や、あるべき「伊豆の嶺」「ゑのころの穂」など、欠如の対象が歌の上にあらわにされていないことである。

 眼の前には、草枯れの堤にしろじろと日が照っているばかり。ほかには何にもない。何という索漠たる風景。
 年改まって五日となるが、暮れはてた窓の外を風が鳴る音のみ。そのほかには何にも聞こえず何にも見えない。

 かつては人の世を「憂し」と感じないわけにはいかなかった。しばしば不快は襲い、怒りは来たり、厭わしい思いは去ろうとはしなかった。だが、もう、いまはいっさいが愛憐される。驕りたかぶるものも、卑小なものも、人の世のすべてに愛憐を覚えないではいられない。それほど、人の世は遠くなってしまったのである。

 老い果てた玉城徹という個人の喉を通して遠く果てしない彼方から「寂し」という語が響いてくる。人の世というものが根源にもっている寂しさが、耳に響いてくるかのようだ。



                            (『短歌現代』2010.9)

http://www4.ocn.ne.jp/~tanka/page027.html
短歌新聞社刊『左岸だより』8500円

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