孫崎享著『日本人のための戦略的思考入門――日米同盟を超えて』祥伝社新書、2010.9.102010/11/06 11:51

   戦略とは自己に最適な道の選択
           



世界情勢は歴史的な転換期を迎えているというのに、日本の政治も経済もずいぶん長く停滞している。しかも先頃の尖閣諸島の問題など、何かしら危うく不安な思いをそそられる。本書のような領域にはまったくの門外漢ではあるが、一人の有権者として考えずにはいられず、手にとってみた。


 著者は、外交官・大使として「悪の帝国」「悪の枢軸」とレッテルを貼られるソ連・イラク・イランで勤務してきたという。この間、チェコ事件、中ソ国境衝突、イラン・イラク戦争、9.11米国同時多発テロに遭遇し、「間違った戦略を採用した国の悲劇を目の前で見てきた」。


また、1985年、ハーバード大学国際問題研究所で安全保障を学ぶ中で、米国では「日本人は戦略的思考ができないと馬鹿にされているのを見た」。キッシンジャーは「日本人は論理的でなく、長期的視野もなく、彼らと関係をもつのは難しい。日本人は単調で、頭が鈍く、自分が関心を払うに値する連中ではない」と嘆いたそうだ。日本人は「独自の判断ができない。他に従っているだけ」という認識は国際的に定着しているという。


 政治・軍事の領域ばかりではない。企業戦略の第一人者マイケル・ポーター・ハーバード大学教授は「日本企業はほとんど戦略をもっていない」と述べているそうだ。しかもこれは戦後の特徴ではない。第二次大戦中でも各国に比較すると日本は戦略面で非常に弱かったという評価が出ている。そもそも日本人社会全体が「戦略に弱い」。


 孫崎氏はいう。戦略とは「人、組織が死活的に重要だと思うことにおいて、目標を明確に認識する。そして、その実現の道筋を考える。かつ、相手の動きに応じ、自分に最適な道を選択する手段」。戦略論の歴史を見渡し、現在の研究水準を視野におさめて、こう定義する。


 従来の戦略思想とは「相手より優位に立つ」「相手をやっつける」視点から手段を考えるものだった。相手の損は自分の得、相手の得は自分の損。孫崎氏自身もかつてはそう考えていたが、いま新しい「ゲームの理論」に裏づけられて「相手の動きに応じ、自分に最適な道を選択する」ことが自らに最大の利益をもたらすと確信したという。勝利とは、敵対する者との関係ではなく、自分自身がもつ価値体系との関係で意味を持つ。相手に力で優位に立ったように見えても、それで自国が疲弊しては勝ったことにならない。「百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」という孫子の兵法が、最先端の戦略論で注目されているという。


 このような最新の戦略思想にもとづいて、本書の後半では日米安全保障問題を具体的に見ていくのだが、驚くべき現実がつぎつぎに暴かれる。60年安保条約改定によって、ダレス国務長官の「我々は日本に、我々が望むだけの軍隊を望む場所に望む期間だけ駐留させる」という方針は是認された。以後変更されていない。しかも、日本人の多くが何となく信じ込んでいる「核の傘」は、じつは無い。日米安保条約を精緻に読み込めばわかる。


 それでもかつての外務省中枢は、米国の世界戦略に巻き込まれないよう知恵を絞って「縛り」をかけた。だが、小泉政権以来、それを外そうとしている。日米同盟の深化というと良さそうだが、じつは米国の世界戦略に日本が使われることであり、また日本に核武装させて日中相打ちをさせる戦略さえあるという。


 われわれは、新聞テレビで識者の意見を聞いて判断するよりほかないが、孫崎氏は、世論こそが国の運命を決めるのだから、肩書などに惑わされず、戦略的思考を一人一人が養って、何を述べているかで判断してほしいというのである。



            (熊本日日新聞読書欄コラム「阿木津英が読む」2010.10)

堤未果著『ルポ 貧困大国アメリカⅡ』岩波新書、2010.1.202010/11/05 16:15

   民営化の果ての借金漬け国民
           

それにしても、本書の内容はすさまじい。本当かしらと疑いたくなるほどだが、どうやら九・一一以後のアメリカ社会は根本から変質していっているようだ。


二〇〇九年一一月、カリフォルニア州立大学で何千人という学生が建物を占拠し、「大学民営化反対」「役員ボーナスをカットしろ」「教育をマネーゲームにするな」と書いたプラカードをもって行進したという。年間三二%の学費値上げを大学側が発表したのだ。学生たちのほとんどは奨学金やローンで学資をまかなっている。収入はあがらないのに学費が高騰し、中流家庭を直撃している。


米国には手持ちの資金がなくとも高等教育を受けられる学資ローンというものがある。それが今では学生たちを借金漬けにしているらしい。なかには日本の消費者金融まがいの高利率のものがある。払いが滞ると、ローン債権は知らぬまにつぎつぎと転売され、さらに高利率の利子がつき、やくざのような脅しによる取りたてが始まる。しかも、この借金は自己破産ができない。


「中流階級にとって最も大きな夢であるマイホーム、そして誰にも開かれた教育という二つが、借金地獄という底なし沼となり、人々を飲みこむことになるとは、いったい誰が予想しただろう?」と、著者はいう。


また、国民皆保険制度のない米国では、医療費が高額なのは周知のこと。「二〇〇九年に医療費が払えず破産を申請している国民は約九〇万人、そのうち七五%が医療保険をもっている」。医療保険制度改革は急務であり、オバマ大統領はそれを公約して当選した。ところが、このたびも医療保険会社や製薬会社など医産複合体とメディアとの結託により、巧みな情報操作がされて、中途半端な骨抜き案となってしまった。


医療活動家デイビッド・ワーナーは言う。「金さえ出せば長生きできるという考え方が医療を商品化し、富める者を薬漬けに、貧しいものを借金漬けにし、いつしか人間が本来持つ生命力を奪ってしまいました」。すべてを数字で測る利益と効率至上主義は、患者と医師との繋がりや、医師のなかにあるはずの誇り、充実感さえも医療現場から奪っていった。


さらに信じられないのが、第四章「刑務所という名の巨大労働市場」である。トイレットペーパーから図書館の利用料にいたるまで有料、刑務所でも囚人たちは借金漬けだ。さらに、第三世界より安い囚人労働力の「国内アウトソーシング」によって、民営化された刑務所ビジネスは「夢の投資先」だというのである。「テロとの戦い」で加速した厳罰化によって囚人の数には困らない。三度有罪になると終身刑になるというスリーストライク法によって、終身刑になる若者が増えてもいる。


九・一一以後、昔の日本の治安維持法に似た愛国者法があっというまに成立したというが、その後の米国社会のありさまを著者は、本書の前編である『ルポ貧困大国アメリカ』(岩波新書)および本書、そして『アメリカから〈自由〉が消える』(扶桑社)と、三部作のつもりで書いたという。他の二冊も、驚くようなことばかり。一読をお勧めしたい。


民営化民営化と自由競争があたかも良いことであるかのように言われてきた。その行きついた果てがこれだ。郵政民営化・裁判員制度などを含む年次改革要望書が米国から毎年送られてきていたというが、対米追従政策はもうゴメンだと思わないではいられない。



           (熊本日日新聞読書欄コラム「阿木津英が読む」2010.6)