街上遊歩 (20) 鏡の中の顔2008/09/08 13:30

 十二年ほど前の秋、アメリカ南部を旅行したことがある。不況とエイズの不安が広がっていたころで、メンフィスの街は、なかばゴーストタウンのようであった。

 アメリカ南部のたたずまいは、映画「風と共に去りぬ」で見たとおりのもので、黒人への人種差別も、サンフランシスコなどとは違って、肌身に感じられた。郊外の巨大スーパー・マーケットの駐車場で、廃車に近いポンコツ車に寄っていくやつれた身なりの黒人のおばさんが目に残っている。

 南部の大学を卒業した友人の旧交を温める旅に同行したので、友人の友人たちの家を途中に訪れたが、そのいかにも南部の白人女性らしいふくらんだ袖のこぎれいなドレスが、先程見た黒人のおばさんと対照的に感じられた。

 宿泊したのは、夫が歯医者をしている家で、二階の子ども部屋のベッドを使わせてもらった。わたしは英語はだめだが、その友人の友人は賢明な心根のやさしさの感じられる女性で、一夜の歓待を受けて眠りについた。アメリカに着いて四泊目くらいの夜であっただろうか。

 明くる朝、起きて洗面所に行くと、鏡に見慣れない顔が映っている。
 「なに、この中国人は。」
 声が口をついて出そうなくらい、目を剥いた。一瞬のち、それが自分の顔であることに気づき、さらに愕然とした。

 白人男女のなかに交わってほんの数日しかたっていないのに、すっかり白人に自分を同化させてしまって、黄色人種の顔を持っていることを忘れている。

 しかも、鏡の中に黄色人種特有の顔を見出したとき、日本人ではなく、なぜ中国人だと思ったのか。自分でもわからない。


  真夜なかにがばと起きたわれはきちがひで罅(ひび)入るほどに鏡見てゐる


 一九三〇(昭和五)年に刊行された前川佐美雄『植物祭』中の一首である。翌年には満州事変勃発、十五年戦争へと傾いていくが、その前夜の不安をうたいとった歌集の、鏡の歌が印象深い。

 ときとして鏡は、自己の無意識のすがたを映し出す。佐美雄は、分裂し、まとまりのつかなくなってしまった「われ」の姿、ひいては「日本」の姿を、狂気のように見定めようとしている。

 あのアメリカでの朝の鏡も、わたしの(わたしたちの)無意識がふと引きずり出されたということなのか。



                                (西日本新聞2003.10.10)

黒瀬珂欄による・・・・2008/09/03 08:03

  曇りぞらおほにし垂りて陸橋のうえなるわれは独りわらいす   
                                   『白微光』昭和62年刊



「おほにし」とは「ぼんやりと」の意。万葉集の柿本人麻呂の歌などに用例がある。掲出歌の風景はおそらく、どんよりとしたスモッグか粉塵が垂れ込めた街なのだろう。あえて「おほにし」を旧仮名で用いた点に、ふしぎなたゆたいが感じられる。薄暮の下、一段高い陸橋を舞台のように感じたのか、ふと自分だけの世界に入りこみ、独り笑いをこぼしたのだ。重々しい現代都市の空と、時間を越えた古語の交錯。それはそのまま、現代女性と古代女性の交錯でもある。


         (黒瀬珂欄著 365日短歌入門シリーズ『街角の歌』ふらんす堂、2008)

  【お断り 黒瀬珂欄の「らん」の漢字は、本当はさんずいです。どうしても反映できな
  いので、しかたなく仮に「欄」の字を使いました。著者に失礼をお詫び申し上げます】

歌集『青葉森』2008/08/29 04:14

短歌新聞社刊、2008.2
定価1000円

第一歌集『紫木蓮まで・風舌』から、初出「紫木蓮まで」三十首。
第二歌集『天の鴉片』完全収録。
第三歌集『白微光』第四歌集『宇宙舞踏』からそれぞれ五十首抄出。
『宇宙舞踏』以後、第五歌集『巌のちから』にいたる間の、未収録歌から五十首ほどを、抄出。

松村由利子による・・・2008/08/02 12:43

 著者は昨年、十三年ぶりに五冊目となる歌集『巌のちから』を出版した。
 その真っすぐで力強い詠いぶりに、過去の歌集を再読したくなったファンも多いに違いない。第一歌集『紫木蓮まで・風舌』から第四歌集『宇宙舞踏』までをまとめた本書は、新旧のファンを魅了する一冊となっている。


   いにしえの王(おおきみ)のごと前髪を吹かれてあゆむ紫木蓮まで
 
   産むならば世界を産めよものの芽の湧き立つ森のさみどりのなか


 のびやかな調べは、既成の価値観にとらわれない精神性からくるものだろうか。「フェミニズム短歌」と少しばかり揶揄のこもった言い方をされたこともあるが、作者の持ち味であるたっぷりした詠いぶり、大どかさは、時代を超えて心を揺さぶる。
 女性性をテーマにした印象が強かった人には、思いがけない歌も多いだろう。


   意地悪き顔の百姓男くるひらたくかわく道のおもてを


の骨太さには、斎藤茂吉に通じるものがある。


   浴室のタイルの壁を軟体のなめくじひとつのぼりてゆけり


には、吉原幸子を思い出させられる。


   地下壁の広告見れば蛍光に透く青き波。--青は慰め

   足裏に月をおさへて立ち上がる宙(そら)のをんなのそのゆびぢから


 長く定型に向かい続けた著者の歌は、今も進化し続けている。その文体や技巧の着実な足跡をたどる意味でも、記念すべき愛蔵版だと言えそうだ。



                        (『短歌新聞』2008.5.10「のびやかさと着実さ」)

街上遊歩 (19)ハナミズキの木2008/07/24 14:40

 扉を押して外に出ると、かぐわしい空気が流れている。通りを渡って、ポストに郵便物を投入し、駅を指して歩きはじめた。街路樹のハナミズキの葉は、今年はくちゃくちゃといった感じで色が変わっている。

 ハナミズキは、別名アメリカヤマボウシ、大正初年に渡来した北米原産の木なのだという。外来種の面もちを残しているその梢に、真っ赤なつややかな実がついているのが見えた。

 顔を上げると、青い空に雲が浮かび、いかにも秋の空だ。

 「遊歩」びよりの日なのに、用事があって池袋まで行かなければならない。目的のある歩みは、心が目的に束縛されているので、全身が感覚にならない。歌を作るということは、心を目的に束縛されない状態に置くということなのだ。

 それでも、歌に没頭していさえすれば、目的は目的として、ほんのちょっとの間の歩みにもゆるやかな遊びが生まれるのだけれど――。

 今日の用事を終えて帰るときには、この通りは、暗くなっているのだろう。



  夜の乳流るるそらへ赤き葉のはなみづきの木のびあがりけり  
                                       歌集『宇宙舞踏』



 もう十年ほど前にも、やはりわたしはその日の用事を終えて、この通りの夜を下っていた。

 ハナミズキの葉は、本来うつくしく紅葉する。赤い広葉を枝にまとっているハナミズキの木が、夜の街通りのどこからともない明かりに、路に連なっていた。

 東京では空が曇っていることが多いが、その日の夜空は星がいくつか見えるほど澄み渡っていた。

 あの空の果てには、子どものころ、窓から首をつきだして、仰向けに寝て見飽かなかった、数え切れない星がいまも輝いているはずだ。大空を渡る天の河もかかっているに違いない。

 そう思ったとき、夜空の白い乳の流れる河へ、赤い広葉をまとったおとめのようなハナミズキの木が、つま先立ってせいいっぱい伸び上がり、手を差しのべるのが見えた。

 いや、わたしがハナミズキの木だったのかもしれない。


                                      (西日本新聞2003.10.9)