一ノ関忠人による・・・2008/12/15 15:00

 阿木津英の五冊目の歌集は、『巌のちから』。その前の『宇宙舞踏』からは十三年の間がある。この間に阿木津は仮名遣いを完全に旧仮名遣いに切り換えた。『宇宙舞踏』も、旧仮名遣いで統一されているが、歌の案出の段階から旧仮名になったのは、今度の歌集をもって初めてのことだという。

 阿木津は、フェミニズムの問題をはじめ苦闘している。苦闘に見えるのは、阿木津の抱える問題が大きいからだが、挑戦の姿勢は阿木津の文学営為の初発からである。

「近代」と呼んでしまうとあまりにも大づかみに思えるかもしれないが、阿木津の作歌や批評活動は「近代」の全貌をつかみ、それを相対化しようとする戦いに他ならない。この壮大なる難問に挑む歌人はそう多くない。短歌のうえで意識的にこの問題に挑んだのは、折口信夫(釈迢空)と玉城徹くらいのものではないか。勿論、茂吉や白秋も同じ問題に突き当たっている。しかし、それを論理化しなかった。阿木津は、その課題を引き受ける。それだけに戦いは苦戦を強いられる。十三年間歌集が出なかった理由の一つは、その戦いの大きさにもよる。


 ・日輪はたかく懸かれりみづうみの波間に焔ゆらめき立ちて

 ・かいつぶり鳴くこゑふくむ湖を春かぜをとめ揺らしやまずも


 この大柄で豊かな量感を感じさせる調べをもった二首は、阿木津の歌というだけでなく、近年の収穫と言っていいだろう。自然を捉えて、力感に溢れている。

  産むならば世界を産めよものの芽の湧き立つ森のさみどりのなか

は、阿木津の初期の歌だが、この二首は、阿木津が苦闘の末につかんだ果実である。捉えた自然の大きさはそれに向き合う人間と対応している。自然に内包された人間存在の小ささに思いは及ぶものの、それを対象化した作者が大きく見えてくる。歌集名にもなったこの一連には、

  子を産まぬこと選び来つおのづからわが為すべきをなすがごとくに

という、「産むならば」の歌に対応した一首があって、この一連が現在の阿木津英だという表明だろう。

 この歌集の頂点には、こうした見事な短歌が並ぶいっぽうで、時代を反映した社会への鋭い批評が歌いこめられている。


 ・人間の空仰ぎしと言ひ出づる喜びの面うひうひしけれ

 ・家畜より成り上がれるが送り来つ個体識別番号付して

 ・身に火薬巻きつけて少女ゆく道をおもはざらめや照り返す日に


 「らい予防法」違憲判決に、国が控訴を断念。罪を認めたときの原告の言葉に反応した一首目。二首目はわれわれに与えられた個体識別番号への揶揄。そして三首目は自爆テロへの心寄せである。差別や新自由主義的な世界の動きへの批判が強く歌われる。

  キャベツの葉粗刻みして食らひをり昼曇りせるへやにしわれは

のように、逼迫した生活の反映かと思われる歌もあって、阿木津の現実存在の苦境がわかる。とはいえ、決してネガティブにはならない。ある種の雄々しさが歌集を貫いている。そて、なにより魅力的なのは、一首一首にゆったりとした時間が流れていることである。文語ならではの、豊饒がここにある。


 ・夕照りの竹群撓ひなびきてはうち反りゆく大窓に見ゆ

 ・九階にのぼり来たりて輝きを斂めむとする雲遠く見つ

 ・おほぞらを光微かにわたらへり鋪道をゆくわれをつつみて


 こうした歌を読んでいると阿木津は構築型の歌人であることがよくわかる。安易な抒情に流されることがない。この大柄な短歌と大きな思想を土台に阿木津の短歌の豊かな実りは、更にこの先に予定されているように見えてくる。


                        (歌誌『朝霧』2008.11「現代短歌鑑賞11 構築」)

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