街上遊歩 (6)幸運2008/05/11 21:17

 いまとは違う時代――たとえば千年前――に生まれていたら、と思うことがある。

 西暦一〇〇三年といえば摂関政治の最盛期、都ではちょうど、藤原道隆の娘定子が中宮から皇后へと体よく遠ざけられ、道長の娘彰子が中宮となったばかりで、これからいよいよ道長の盛んな時代に入っていくところだ。定子につかえた清少納言が『枕草子』を書き、紫式部も『源氏物語』を書き継いでいたかもしれない。女に教養のあることが、身の助けとなった時代であった。

 とはいえ、どうやらわたしは根っからの九州人、そんな遠い都の雲上人の話には何の関わりもない。太宰府あたりには都から赴任してきた教養人が住んでいただろうし、もしかしたらわたしの近隣の寺院などに知識のある僧侶もいたかもしれない。

 しかし、なにせ女の身である。文字が読めたとしても、読みたい本は借りて筆写するしかないが、いったい誰が貸してくれよう。更級日記の作者のように、都には面白い物語があるんだって・・・という噂に身を焦がしているだろうか。
 
 江戸時代ならば、浮世草子くらいは手に入ったかもしれないが、『論語』や『詩経』、また杜甫や李白の詩篇などの漢籍は、一般には女が読むものではなかった。
 
 さてさて、このように巡らしてくると、今の世がなんとありがたいことかと、しみじみ思われる。性別・身分に関わらず、読みたいものはなんでも容易に手にはいる。近代の活版印刷技術発明のおかげで、一冊五百円ばかりで買った岩波文庫をハンドバックに押し込んで歩ける。
 
 科学文明の発達と大量生産体制は世界を変えてしまった。もちろん、良いことばかりではない。その悪しき側面は二回にわたる世界戦争となって現われ、今なお最新鋭の科学兵器が開発され続けている。地球上のいたるところが非人道的な大量破壊兵器の実験場化している。

 それでも、わたし個人としては、二十世紀のしかも後半という時代に、よくぞ女として生まれあわせたものだと思う。この時代の刻印を、女としての身に受けたことを感謝する。

 つくづくとわが幸運を思いつつ、祐天寺駅裏のクリーニング店・お総菜屋・コンビニエンスストアと並ぶ通りを、それぞれに店内の明るく点っているのを見ながら、坂を下っていく。

                                      (西日本新聞2003.9.24)