街上遊歩 (8)酒盛りののち ― 2008/05/22 09:12
熊本にわたしが帰るというので、岡野百々さんという短歌修業中のうら若き(のように見える)女性が、歌人の石田比呂志宅へ大分から泊まりがけでやって来てくれた。歌人仲間の浜名理香さんも来た。夕方の開店時間を待って、さっそく近所のフランス料理(?)店で酒盛りがはじまる。ワインを二本空けて、ほろ酔い加減で家に戻り、さらにみんなが飲んだのは焼酎だったか、日本酒だったか。戸棚から封を切ったレミィ・マルタンを見つけだし、岡野百々はごくごくと、わたしはちびちびと、そのふくよかな香りを歓んだ。
かくして、翌朝授業をしなければならない浜名理香も、石田比呂志からタクシー代をせしめたままついに沈没、酔っ払いの女ども三人は雑魚寝をしたのであった。
翌日は、昼を過ぎても身体が使いものにならない。息の詰まるような熊本の暑さにへたばっていると、博多から村山寿朗さんが短歌研究賞受賞のお祝をもって来てくれた。
村山さんも、わたしたちが熊本に来た当初からの古い友人である。九大の一年先輩だが、大学のときに重い躁鬱病を発病したらしい。出会ったときには寛解期で働いていたが、その後も入退院を繰り返す困難を端(はた)ながら見て来た。ところが、どのようなきっかけがあったのか知らないが、見事に病を克服して、今は立派な歌集一冊をもつ歌人として立っている。しかもすばらしく可愛い奥さんと三人の子持ちである。
午後の三時というのに、石田比呂志はおもむろに酒を飲みはじめ、村山寿朗は何度もこんろ台に立っては干し魚をあぶる。そのあぶり方の不器用なのにわたしは文句を言いつつ、ほんのちょっとビールを嘗める。二十七、八年前のささいな事がらを三人で思い出しては、げらげら笑ったり、慨嘆したり、しているうちに、もう酒の飲めないわたしは、だんだん江津湖を見に行きたくてしようがなくなった。今、行っておかないと、明日の昼には発たなければならない。
ついに「寿司を買ってくる」と言い置いて、外に出た。空は、もう日が落ちる前の明るさだ。アーケードのある健軍商店街を下りつつ、ふと、西に開いた通りを見ると、町並みのはての狭い空には赤い雲が広がっている。あの雲のひかりのしたの江津湖は、鳴り響くようであるに違いない。
(西日本新聞2008.9.26)
かくして、翌朝授業をしなければならない浜名理香も、石田比呂志からタクシー代をせしめたままついに沈没、酔っ払いの女ども三人は雑魚寝をしたのであった。
翌日は、昼を過ぎても身体が使いものにならない。息の詰まるような熊本の暑さにへたばっていると、博多から村山寿朗さんが短歌研究賞受賞のお祝をもって来てくれた。
村山さんも、わたしたちが熊本に来た当初からの古い友人である。九大の一年先輩だが、大学のときに重い躁鬱病を発病したらしい。出会ったときには寛解期で働いていたが、その後も入退院を繰り返す困難を端(はた)ながら見て来た。ところが、どのようなきっかけがあったのか知らないが、見事に病を克服して、今は立派な歌集一冊をもつ歌人として立っている。しかもすばらしく可愛い奥さんと三人の子持ちである。
午後の三時というのに、石田比呂志はおもむろに酒を飲みはじめ、村山寿朗は何度もこんろ台に立っては干し魚をあぶる。そのあぶり方の不器用なのにわたしは文句を言いつつ、ほんのちょっとビールを嘗める。二十七、八年前のささいな事がらを三人で思い出しては、げらげら笑ったり、慨嘆したり、しているうちに、もう酒の飲めないわたしは、だんだん江津湖を見に行きたくてしようがなくなった。今、行っておかないと、明日の昼には発たなければならない。
ついに「寿司を買ってくる」と言い置いて、外に出た。空は、もう日が落ちる前の明るさだ。アーケードのある健軍商店街を下りつつ、ふと、西に開いた通りを見ると、町並みのはての狭い空には赤い雲が広がっている。あの雲のひかりのしたの江津湖は、鳴り響くようであるに違いない。
(西日本新聞2008.9.26)
街上遊歩 (9)江津湖 ― 2008/05/22 09:13
朝六時をまわったころ、目が覚めた。昨日は、江津湖に行けずじまいだったので、散歩に出たいと思う。
顔も洗わずに道に飛び出すと、朝の日差しは、すでに力がみなぎりはじめていた。家並みの間に残っている畑からは、秋の虫の音がはなやかにのぼっている。
二十数年間、歩く道はおおよそ決まっているのである。この家の庭先の巨大な黒犬に、子犬の太郎が、物知らずにも近寄って吠えつかれ、びっこ曳きひき逃げたっけ、などと、思い出される。あたりは、古くからの村のたたずまいが残こっている。村なかという言葉がぴったりの細い道で、朝の登校をするらしい制服の男の子が「おはようございます」と声をかけてくれた。
さらに下ると、三毛の子猫がふらりと垣根から現れ、わたしの足もとに転がって、挨拶をする。おなかをなでてから頭を軽く指先で小突いて別れをし、立ち上がった。
ここはもう秋津川のほとりである。少し汗ばむほどの日ざしとなった。東を向くと、あたりが白むばかりにまぶしい。川岸には、カラスムギの穂に小さな蕊(しべ)がたくさん下がっている。 田んぼの稲の穂にも蕊の下がっているのを見ながら、農道を渡ると、いよいよ江津湖だ。
日輪はたかく懸かれりみづうみの波間に焔ゆらめき立ちて
かなたより波すべり来てほていさう聚(あつ)まる縁(へり)の葉群うちあぐ
かいつぶり鳴くこゑふくむ湖を春かぜをとめ揺らしやまずも
みづうみは揺りかへりつつ限りなし波間に鴨の眠り蔵(をさ)めて
この歌を作ったときの江津湖は、三月だった。江津湖は大きな池ほどの湖だから、客観的にはたいしたことがない。それが、ときによって、どうしてあんな空間を現出するのかと思われるような日がある。そのような湖に出会った日は、どんな人間の煩いごとも忘れ去り、身のうちはただ豊かに満ち足らう。
数年前に湖岸が整備され、広い公園ができた。このたび近寄っていくと、さらにバイパスのような道路が建設中である。この向こうに、湖はどんな表情をしているだろうか。
(西日本新聞2003.9.27)
顔も洗わずに道に飛び出すと、朝の日差しは、すでに力がみなぎりはじめていた。家並みの間に残っている畑からは、秋の虫の音がはなやかにのぼっている。
二十数年間、歩く道はおおよそ決まっているのである。この家の庭先の巨大な黒犬に、子犬の太郎が、物知らずにも近寄って吠えつかれ、びっこ曳きひき逃げたっけ、などと、思い出される。あたりは、古くからの村のたたずまいが残こっている。村なかという言葉がぴったりの細い道で、朝の登校をするらしい制服の男の子が「おはようございます」と声をかけてくれた。
さらに下ると、三毛の子猫がふらりと垣根から現れ、わたしの足もとに転がって、挨拶をする。おなかをなでてから頭を軽く指先で小突いて別れをし、立ち上がった。
ここはもう秋津川のほとりである。少し汗ばむほどの日ざしとなった。東を向くと、あたりが白むばかりにまぶしい。川岸には、カラスムギの穂に小さな蕊(しべ)がたくさん下がっている。 田んぼの稲の穂にも蕊の下がっているのを見ながら、農道を渡ると、いよいよ江津湖だ。
日輪はたかく懸かれりみづうみの波間に焔ゆらめき立ちて
かなたより波すべり来てほていさう聚(あつ)まる縁(へり)の葉群うちあぐ
かいつぶり鳴くこゑふくむ湖を春かぜをとめ揺らしやまずも
みづうみは揺りかへりつつ限りなし波間に鴨の眠り蔵(をさ)めて
この歌を作ったときの江津湖は、三月だった。江津湖は大きな池ほどの湖だから、客観的にはたいしたことがない。それが、ときによって、どうしてあんな空間を現出するのかと思われるような日がある。そのような湖に出会った日は、どんな人間の煩いごとも忘れ去り、身のうちはただ豊かに満ち足らう。
数年前に湖岸が整備され、広い公園ができた。このたび近寄っていくと、さらにバイパスのような道路が建設中である。この向こうに、湖はどんな表情をしているだろうか。
(西日本新聞2003.9.27)
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