短歌誌『塔』2008.5による・・・2008/06/06 15:10

 二〇〇〇年正月から二〇〇三年三月までの作を収める、前歌集より十三年ぶりの第五歌集である。これまでの歌集によって私が知り得ている阿木津英は、女性性を鋭く見つめることによって、社会に切り込み、自らの生を問いかける。この歌集でも例えば、「どこの国の女が、幸福か?」という詞書を持つ、


  閂(かんぬき)をみづからはづし立ち出でて輝くをとめ待つべしそこに


という歌があり、阿木津が、女性性を根拠とする問題意識を手放さずに歌ってきたことが分かる。


  子を産まぬこと選び来つおのづからわが為すべきをなすがごとくに


 一方で、こうした歌にも立ち止まる。「女」であることは、この歌において重要な要素ではあるが、生を社会に問うというよりも、これまでの生を引き受けた上に立ち上がる現在の「私」を、文語定型の揺るぎない調べによって、刻みつけるように歌う。


  立ち止まりふりあふぎ見つゑんじゆの葉鐫(え)りこむそらは揺らぎやまずも


 揺るぎない調べといえば、この歌も心に残った。旧仮名、「つ」「も」といった文語の助動詞・助詞、「鐫りこむ」という鋭く力強いイメージのある動詞は、読者の目にどっしりと景色をなぞらせる。阿木津は第四歌集から旧仮名づかいに転じたようだが、この転向は阿木津の歌にとって欠くことのできないものだったのではないか。


  地の芯のふかきを発し盛り上がる巌(いはほ)のちから抑へかねつも
  
  キャベツの葉粗(あら)刻みして食らひをり昼曇りせるへやにしわれは

  暗黒にひかり差し入りたましひの抽(ぬ)き上げられむあはれそのとき


 一首目は「雪舟を観る」という詞書付き。二首目は、質素かつ磊落なる生活の一場面を歌う。三首目は妹の死にかかわる歌群から。太い調べと生の力強さに圧倒される歌集である。



                                (「歌集探訪」澤村斉美)

短歌誌『稜Kado』2008.5による・・・2008/05/31 09:39

  阿木津 英歌集『巌のちから』(短歌研究社、2007)


 第一歌集『紫木蓮まで・風舌』を提げて、彗星のごとく歌壇にデビューしたのは昭和五十五年、その著者による第五歌集である。現在、短歌研究誌「あまだむ」を発行している。〈短歌研究誌〉を銘打っての刊行にその意図するところが窺えよう。
 先ず歌を挙げよう。


  微(かす)かなる歌一つ作すのみにして過ぎゆくらしも元日の日も

  三歳を過ぎて片目の野良猫の世の苦浸(し)みたる風情(ふぜい)に歩く

  暗黒にひかり差し入りたましひの抽(ぬ)き上げられむあはれそのとき

  マンションと言ひなす匣(はこ)に住みつきて日日を窮すといふたのしさよ


 著者の心のゆらめきを奏でるように表現された近況が浮かび上ってくる、そうした歌である。三首目は妹の死を悲しむ数々の歌の中の一首で、悲しみをこえて詠みあげた歌人としての作である。また四首目の「匣(はこ)」一字の用語にも注目した。岡井隆氏がオビに「地味ではあるが、成熟した力作」と書いているのにも、「地味」はとも角、共鳴した。


  〈純粋〉をたてまつらむとするものの国体(くにがら)の歌けぶたしわれは

  アウシュビッツの屍体の山のごとくにも累累としてコンビュータ内


 このニ首、通底するものがあろう。異なる事柄ではあるが、ともに著者の厳しく拒絶する-、それはわれわれ自身拒絶すべきものを歌として提示した、歌人としての良心とも言える。また


  青ぐもへ屍臭のぼれる市(まち)ひとつ籠(こ)めて球体浮く闇黒に


などなど、歌集『巌のちから』による刺激の大きさをにれかんでいる。

短歌誌『みぎわ』2008.6による・・・2008/05/31 09:25

  阿木津 英 歌集 『青葉森』(短歌新聞社 952円+税)


 わたしが短歌を作りはじめることになった頃、昭和二十年代前半生まれの女性歌人が次々に第一歌集を出していて、その中の出色の一人が本著の阿木津英である。雛歩きをしながらもかつて味ったことのない衝撃とこのような表現の世界があるという言い知れぬわくわく感を覚えた私事を俄に思い起こさせる『紫木蓮まで・風舌』『天の鴉片』と『白微光』『宇宙舞踏』その後九三年から九九年までの作品から本集は成る。
 〈産むならば世界を産めよものの芽の湧き立つ森のさみどりのなか〉と爽やかに言挙げした時から「歌とは、女とは何か」を苦しむように作歌してきた足跡の一冊。


  柿の木の芽吹きの時に遇いにけりみどりは春に汚るるらしも 
                                   『紫木蓮まで・風舌』

  窟(あなぐら)の扉(と)をおしひらき明るさよ秋かんばしき町に入り行く 
                                       (一九九九)


 溜めている熱い息を吐くとき、常に靜か。



                                  (新刊・歌集紹介 松沢陽子)

岡井隆による・・・2008/05/25 20:58

 樹下(こした)には浅き緑の炎立(ほむらだ)ち死ぬるまでわれ男愛さむ

                                 『青葉森』 阿木津 英



樹の下の草は浅みどりのいろに萌え立っている。それは「炎」のようにも見える。春の生命の若萌えをみながら「わたしは死ぬまで男を愛する運命にある」といっているのか、「死ぬまで愛していこう」という決意なのか。そのあたりは単純ではないのだろう。作者三十歳前後の作品である。


                              (東京新聞「けさのことば」2008.4.20)

前登志夫による・・・2008/05/19 21:08

  両の手をひらき垂れたる歩みにて遠き山嶺ひびき来たれり

                                   阿木津 英『巌のちから』



 両手をひらいてぶらりと垂れたままの姿は、前方に存在するなべてを受容するかたちだろうか。はるかな山の頂きがりんりんと響き迫ってくる。ひどく暗示的な自然宇宙との交霊の一瞬でもあろうか。この上なく古代的な光景だが、原始的なシャーマンとは異なる思索者の姿もある。


               (前登志夫「巻頭秀歌 歌意」、『NHK短歌』No.134 2008.5)